神学校入学式ミサ

王であるキリスト(2021年B年)

佐藤謙一(さとうけんいち) により

2021年11月28日

記事のすべてのバージョン:

第一朗読:ダニエルの預言(ダニエル7・13-14);彼の支配はとこしえに続く
答唱詩編(詩編93・1+2、3+4、5+栄唱);神のいつくしみをとこしえに歌い、主のまことを代々に告げよう。
第二朗読:ヨハネの黙示(黙示録1・5-8);地上の王たちの支配者である方は、わたしたちを王とし、神に仕える祭司としてくださった
福音朗読:ヨハネによる福音(ヨハネ18・33b-37);わたしが王だとは、あなたが言っていることである

今日は典礼暦年最後の主日です。この日、教会は「王であるキリスト」を祝います。この祭日は1925年に、教皇ピオ11世が「王であるキリスト」の祝日を定めたところから始まります。わたしたちの「王」とはキリスト、すなわち救い主である方です。地上の王とは違う魂の救い主である方のことです。

今日の福音は逮捕されたイエスがローマ総督ピラトによって尋問される場面です。この場面はマタイ、マルコ、ルカにも同じようにあります。しかし、その3つの福音書では「それはあなたの言っていることです」としかイエスは答えていません。その後何も答えていません。イエスの意図はどういうものなのか、情報が少ないのでわかりにくいところがあります。

ヨハネによる福音ではイエスの弁明が長く語られているのが特徴です。「あなたは自分の考えで、そう言うのですか。それとも、ほかの者がわたしについて、あなたにそう言ったのですか。」この言葉は「それはあなたの言っていることです」と比べてとても分かりやすいと思います。ピラトは祭司長たちが引き渡したのだと答えて、イエスに「いったい何をしたのか」と問いかけます。イエスは答えます。「わたしの国は、この世に属していない。」直訳では「わたしの国はこの世からではない」となります。わたしの国は人間の力によるものではなく、神の力によるものであるということです。この世となると反対はあの世かと思ってしまいますが、そうではありません。そういう領域を指すのではなく、人間が力をもって支配する国ではなくて、神が愛をもってわたしたちを受け入れてくれるところからイエスが来たのだということです。だからこそわたしたちは神が愛を持って受け入れてくれるその国を待ち望むのです。

その後のピラトの質問に対してイエスは「わたしが王だとはあなたが言っていることです」と答え始めて、その後真理について語ります。真理とは「神は愛」であるということです。神がわたしたちを愛して神の似姿に造ってくださったこと、神がわたしたちをご自分のもとに引き寄せて受け入れてくれること、これは神が愛であることを意味します。この直後、今日の朗読には載っていませんが、ピラトは「真理とは何か」とつぶやき、ユダヤ人たちに「わたしはあの男に何の罪も見いだせない」と言います。これらはイエスの裁判の場面ですが、ピラトの決断を迫る場面であるともいえます。ピラトの質問に対して逆にイエスがピラトに質問をして決断を迫っていることがわかります。ピラトは「何の罪も見いだせない」と言いましたが、ユダヤ人たちにイエスを任せてしまいました。イエスの言う神の国ではなく、この世の人間の権力が支配する国を選んだということです。それはわたしたちにも突き付けられていることです。自分がどの道を選ぶかは自由です。神の愛に従い隣人に仕える生き方をするか、神に背を向けて隣人を利用してこの世の利益を取るのかの選択です。わたしたちが正しく生きる道を選択できるよう願いましょう。

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