教皇ミサでの退堂行列

死者の日(11月2日、白・紫・黒)

佐藤謙一(さとうけんいち) により

2021年11月2日

記事のすべてのバージョン:

第一朗読:知恵の書(3・1-6、9);神は焼き尽くすいけにえの献げ物として彼らを受け入れられた
または、使徒パウロのローマの教会への手紙(ローマ8・31b-35、37-39);だれがキリストの愛からわたしたちを引き離すことができましょうか
答唱詩編(詩編23・2-4、6);主はわれらの牧者、わたしは乏しいことがない。
福音朗読:ヨハネによる福音(ヨハネ6・37-40);子を見て信じる者が永遠の命を得、わたしがその人を終わりの日に復活させる

信仰宣言の中で主は「よみにくだり」という個所があります。よみとはユダヤ教、あるいは当時の中東世界ではすべての死者が下るところと考えられていました。そしてそこに下った者は静かな眠りについていて神とのかかわりが絶たれている状態であり、イエス・キリストが地上に来られる以前のあらゆる人々が集まる場所でした。そこにはアブラハムもモーセもサムエルも預言者の群れも入っていると考えられていました。イエス・キリストは十字架の死の後、そこに赴いて行ったのです。それはイエス・キリストの救いを知らずに亡くなった人々を神のもとに引き上げるためでした。使徒たちの信仰の中で偉大な先祖たちが死者の下るところでそのままであるはずがないという思いが「主はよみに下り」という言葉として残ってきたということなのです。さて、それを現代に生きるわたしたちが信仰宣言として唱えていますがどう理解したらいいのでしょうか。

生きているものを救おうとするのがイエス・キリストです。しかし、イエスを知らずに亡くなった人々、あるいは生まれて間もなく亡くなる人々をも、イエスは救おうとします。救いを求めているすべての人々のもとにイエスは自ら出向いていくということを言いたいのではないでしょうか。それはわたしたちキリスト者にも求められる姿勢だと思います。

もちろん、わたしたちと同じ信仰をもって亡くなった人々のために祈るということは大切なことです。煉獄にいる霊魂のために祈り、早く天国に行ってもらいたいと願うのはとても良いことです。わたしたちの空間と時間の感覚からするとそう考えるしかないかもしれません。しかし、神の時間は永遠です。永遠とは地上の時間が引き伸ばされて終わりがないという意味ではありません。地上の時間がそこにはもうないということです。地上の時間がないということはわたしたちの目には一瞬の出来事かもしれません。ですから、洗礼によって神に結ばれて亡くなった人々は、すぐに神のみ前で自分のすべてをさらけ出し、悔い改めのうちに神の愛に包まれているのではないでしょうか。煉獄の苦しみは時間的な長さではなく、程度の大小なのではないかと考えられます。

ですから昨日お祝いした諸聖人とともに亡くなられた方々は、もうすでにわたしたちのために執り成しの祈りをささげているかもしれません。ヨハネによる福音で「わたしをお遣わしになった方の御心とは、わたしに与えてくださった人を一人も失わないで、終わりの日に復活させることである」とイエスはおっしゃられました。誰一人として神から離れないでほしいという思いがあります。死者の日に当たって死を越えた命があることをあらためて思い起こしましょう。

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