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復活節第5主日(2020年5月10日、A年・主日・白)

佐藤謙一(さとうけんいち)  

2020年5月10日

第一朗読:使徒たちの宣教(使徒言行録6・1-7);弟子たちは聖霊に満ちた人を七人選んだ
答唱詩編(詩編33・4+5、6+11、20+21);神の注がれる目は、神をおそれる者に、神の愛に希望をおく者の上に。
第二朗読:使徒ペトロの手紙(一ペトロ2・4-9);あなたがたは選ばれた民、王の系統を引く祭司である
福音朗読:ヨハネによる福音(ヨハネ14.1-12);わたしは道であり、真理であり、命である

ヨハネ福音書は、他の福音書とは少し毛色が違うように感じています。
ほかの3つの福音書はイエスがなくなって比較的に初めのころに書かれました。
と言っても30年以上もたった後に書かれたものです。
その記述はもちろん使徒たちの伝承によって書かれたものです。
昔の人は記憶力がとても優れていました。
今のように何でも簡単に記録を残せる時代ではなかったからです。
ヨハネ福音書も当然ながらイエスが直接書いたものではないし、誰かに書くように命じて書かれたものではありません。
ですが福音書として残っているのは、復活を体験した使徒たちが復活したイエスはこのように表れたということを信者に伝えて残していったからです。
それが今現代にも残る福音書であり、使徒書であり、パウロやほかの使徒たちの手紙であるのです。
今日の聖書朗読のテーマは、イエスがわたしたちの道であるということです。
使徒たちの宣教では、異邦人への宣教のためにギリシャ人の7人が選ばれています。
食事の世話をするために選ばれた7人ですが、実際にはギリシャ語を話す人々への宣教のために働いていきます。
それは今日選ばれたステファノがのちに信仰をあかしして殉教したことでもわかるとおりです。
イエスの道に従ったものが宣教し神のことば、つまりイエスの福音が広まって信仰に入った人がどんどん増えて言った次第が描かれています。
ペトロの手紙ではイエスに従うキリスト者が「選ばれた民、王の系統を引く祭司、聖なる国民、神のものとなった民」であると言われています。
キリストを信じるすべての人がこのように新しい神の民とされたのです。
そのような神の民は伝える使命を与えられています。
それはイエスの業を伝えるという使命です。
わたしたちを暗闇の中から光の中へと招き入れてくださったイエスの力ある業を伝えるという使命です。
自分が受けたものをほかの人にも伝えていくという使命です。
この教会の集いの中で受けたもの、つまりイエスの業をほかの人にも伝えていくことがわたしたちにゆだねられた使命であるということです。
それを一人ひとりがあかししていくことでイエスの福音が少しずつでも広まっていくと思います。

今日のヨハネの福音では、トマスが「主よ、どこへ行かれるのか、わたしたちにはわかりません」と問いかけています。
それにこたえてイエスは「わたしは道であり、真理であり、命である」と言っています。
イエスを知ることでその道を知ることができるというのです。
イエスを知るということはイエスの福音を知るということです。
今日聞く福音によって永遠のいのちに至る道を知ることができるのだということです。
信仰とは単に神を信じるとかイエスを信じるだけにとどまらず、神やイエスに信頼を置き、自分をそこにゆだねるということです。
今日の福音の初めに「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい」とあります。
神とイエス以外のものを頼りにしている限り、わたしたちの不安はなくなることはないでしょう。
逆に言えば、神とイエスを信じて信頼して歩むときには、その不安や心の動揺はなくなるし感じないはずです。
ところで、イエスが道であると言ったことを考えてみましょう。
それはイエスご自身が歩む道であるという意味での道だと言ってよいと思います。
その道とはもちろん十字架への道です。
しかし、その道は十字架の死で終わるものではなく、その死を通って神のもとへ行く道であるのです。
「わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない」。
これはイエスへの信仰があるかないか、洗礼を受けたか受けていないかということによって決まることではありません。
それによって自動的に神のもとに行けるわけではないのです。
イエスの十字架を通っていくことで初めて神のもとに行くことができるということを意味します。
イエスの十字架がわたしたちの前にどのように表れるかはさまざまでしょう。
いろいろな苦しみが人生には訪れます。
その苦しみを通して神に至るのだということです。
イエスが十字架上の死を通して苦しまれて復活し永遠のいのちに達したように、わたしたちも今の苦しみを通して永遠のいのちにまで至ることができるのです。
「主よ、わたしたちに御父をお示しください」というフィリポの言葉はわたしたちの望みでもあります。
イエスのことばは明確です。
わたしを見た者は、父を見たのだ。
イエスの受難と死を通してわたしたちへの愛を示してくださり、さらに復活を通して永遠のいのちへの道を示してくださいました。

今日の福音の最後のことばはわたしたちを大きく励ましてくださるものです。
「わたしを信じる者は、わたしが行う業を行い、また、もっと大きな業を行うようになる。」
わたしたちはこの世の中でイエスが行う業を行うことによって、さらに大きな業を行うようになるというのです。
それはイエスが十字架の死とそののちの復活、そして神である父のもとへの昇天、さらに聖霊の派遣によってわたしたちが強められるからです。

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