教皇ミサでの退堂行列

年間第33主日(2021年B年)

佐藤謙一(さとうけんいち) により

2021年11月14日

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第一朗読:ダニエルの預言(ダニエル12・1-3);その時には、お前の民は救われる
答唱詩編:(詩編16・5、8、9);幸せな人神の恵みを受け、その喜びに生きる人。
第二朗読:ヘブライ人への手紙(ヘブライ10・11-14、18);キリストは唯一の献げ物によって、聖なる者とされた人たちを永遠に完全な者となさった
福音朗読:マルコによる福音(マルコ13・24-32);人の子は、彼によって選ばれた人たちを四方から呼び集める

テーマ:将来への希望と今の時代への警告

カトリック学校では他の公立あるいは私立学校と比べて違うところがあります。それは宗教という科目があることです。宗教と関係ない一般の学校では通常、道徳や倫理と呼ばれる科目に置き換わるものです。神学生のとき、あるカトリック学校に行って宗教という科目について聞く機会がありました。先生のお話によると、宗教の時間の内容は道徳の内容とは異なるとのことでした。道徳は人間同士の関わりの中でどう人間らしく生きていくのかを教えるものですが、宗教は人間同士の関わりの上に神との関わりが加わり、その中でどう生きていくかを教えるものです。人間関係がうまく行かないとか誰とも関わることができないとかで引きこもってしまうときに、たとえば道徳で教えていることを実践しようとしてもなかなか解決できないことがあります。それは人間同士の関わりの中で解決しようとするからです。人間関係で苦しむような状態になった人が解決できずに最終的に自殺という手段を取り、この世からいなくなることで苦しみから逃れようとすることがあります。この世で自分を救ってくれる者、守ってくれる者がいないことに絶望するからです。

宗教の科目で教えていることは人間同士だけでなく神との関係の中でもわたしたちは生きているのだということです。人間同士の関係が難しい状態になっても、例えばクラスの中でいじめや無視があったとしても、神の愛は無くならないと知っていれば、あるいは神の恵みの内につねにいるという感覚を持っていれば、そこに希望をもって現実を見つめ、一歩ずつ解決に進んでいけるのではないでしょうか。宗教という科目はカトリック学校において欠かすことができないものなのだと理解しました。

今日の福音ではエルサレムの荘厳な神殿を見ながら終わりの日に何が起こるのかをイエスは弟子たちに語ります。イエスが語るのは「苦難の後、人の子が大いなる力と栄光を帯びてやってきて、天使たちを遣わし選ばれた人たちを呼び集める」ということです。つまり、救いの日は近づいているということを弟子たちに話します。
人の子、イエス・キリストが再臨して人々を救うという希望を示しています。ですから、ここは、この苦難の時代は過ぎ去り、最終的に神のみによって希望が実現するというメッセージなのです。一方で、今日の福音の最後には「その日、その時は誰も知らない。父である神だけが知っている」という言葉があります。その時がいつ来るのかだれも知らないのだから、今必要なことは皆が目覚めていなければならないということを言っています。これはいつも今の現実をよく見つめるようにという戒めのメッセージです。つまり将来のことばかり夢見てこうなればいいとかああなればいいとか議論するのではなく、現実を常に見つめていなさいということを弟子たちに語っています。これは現代の私たちにも当てはまることだと思います。わたしたちもややもすればこの弟子たちのように現実を見つめようとせず、将来の救いばかりを期待する傾向があるのではないでしょうか。自分の努力なしに神に何かをしてもらうことを期待することはないでしょうか。人々の目を現実からそらせ将来に期待させることはいつの時代も支配者が望んできたことです。例えば、今苦しんでいる人や貧しい人、病気の人から目をそらし、将来の見えない危険に備えてお金を使ったりすることなどが思い浮かびます。明るい将来を描き、理想を大きく掲げ、現実の問題を見せないようにしてさらに多くを人々から搾取するということはいつの時代も行われてきました。苦しむのは支配される側の人々です。

これらのことからも分かるように、実は終末思想(将来の危険を示して今備えなければならないという脅し)が広がって喜ぶのは支配者なのです。したがってわたしたちはしっかりと現実をよく見て、今何をなすべきかということにもっと関心を払った上で将来の希望を見据えていかなければならないのです。終末の希望とは自分の死後のからだの復活によって神のもとでキリストともに永遠の命にあずかることです。今月は死者の月ですが、いつか亡くなったすべての人とあいまみえることを期待しましょう。そのためにもこの世での働きが神のみ旨にかなう実りあるものとなりますように。

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