教皇ミサでの退堂行列

年間第32主日(2021年B年)

佐藤謙一(さとうけんいち) により

2021年11月7日

記事のすべてのバージョン:

第一朗読:列王記(列王記6・2-6);やもめは小麦粉で小さいパン菓子を作って、エリヤに持って行った
答唱詩編(詩編146・1+2+10a、6c+7、8ac+9bc);命あるすべてのものは神をたたえよ。
第二朗読:ヘブライ人への手紙(ヘブライ9・24-28);キリストは、多くの人の罪を負うためにただ一度身を献げられた
福音朗読:マルコによる福音(マルコ12・38-44);この貧しいやもめは、だれよりもたくさん入れた

今日の福音では律法学者のふるまいとやもめの献金の場面が語られています。どちらが神に招かれる行動なのかということが問われています。律法学者のふるまいは、嫌なふるまいだと感じるでしょう。「このような者たちは、人一倍厳しい裁きを受けることになる」とイエスは言っています。

大勢の金持ちが献金する様子を見ておられたイエスが、ある貧しいやもめが来て献金するのを見ていました。イエスの目には「乏しい中から自分の持っているものをすべて、生活費を全部入れた」と映りました。レプトン銅貨二枚、1クァドランスというのはわずかなお金です。イエスが本当に銅貨二枚入れたことをはっきり認識していたかどうかわかりませんが、見ただけではとても少ないお金を入れたとしか映りません。しかしイエスには「だれよりもたくさん入れた」と映りました。それはなぜかというと「生活費を全部入れたから」と言われています。「生活費」と訳している言葉は現代的な訳し方ですが、意味としては「生命」「人生」「自分自身」という意味を含んでいます。ですから「彼女は自分の全存在をささげた」と理解することができます。単にお金の問題ではなく、すべてを神にゆだねる生き方を選んだということがイエスの目に留まったのです。

金持ちの男のたとえ話が1か月前の福音で語られました。「行って、持っているものをことごとく売り、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる」というイエスのことば。「彼はこのことばを聞いて、悲しみ、沈んだ顔つきで去って行」きました。「多くの財産を持っていたからである」と締めくくっています。この最後のことばにわたしたちは目が留まってしまい、これにこだわってしまいがちです。つまり、お金をすべて貧しい人に施したら、自分が貧しい人になってしまうと考えてしまうのです。富に執着しているとそういう考えになってしまうのです。自分のすべてを神にささげることによって天に富を積むことになるのです。そのような人を神は見捨てることなく目を止めて救い出してくださるのです。金持ちの男のたとえでイエスは最後にこう言われています。「それから、わたしについてきなさい。」自分の全存在を神にささげてイエスに従っていく生き方をしていくことが神の国に近づく道なのです。

今日の第一朗読のやもめも神の預言者エリヤの言葉を聞いて、エリヤの言葉通りにしました。自分の持っているものをすべて神にささげることで幾日も食べ物に事欠かなくなるという話でした。すべてを差し出したときに神の救いの力が働くということです。人生はいろいろありますが、神の不思議な力が働きそれに招かれて歩んできて今があるのではないでしょうか。自分で選んだというよりも神の招きによって選ばざるを得ないという状況と言えるでしょう。人それぞれ形は違うかもしれませんが神の招きがいつもあります。それはイエスの受難、十字架上の死、そして復活という道をわたしたちも歩むことだと言えると思います。「わたしについて来たい者は、自分を捨て、日々、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。」イエスの招きに応えることができるよう願いましょう。

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