Missa ad vetus Ecclesia Catholico Miyamaecho

年間第12主日(2021年B年)

佐藤謙一(さとうけんいち)  

2021年6月16日

第一朗読:ヨブ記(ヨブ38・1、8―11);高ぶる波をここでとどめよ
答唱詩編(詩編107・23+24、28a+29+30、31+32);神のいつくしみをとこしえに歌い、主のまことを代々に告げよう。
第二朗読:使徒パウロのコリントの教会への手紙(二コリント5・14―17);新しいものが生じた
アレルヤ唱(ルカ7・16);アレルヤ、アレルヤ。偉大な預言者がわたしたちのうちに現れ、神は民を訪れてくださった。アレルヤ、アレルヤ。
福音朗読:マルコによる福音(マルコ4・35―41);いったい、この方はどなたなのだろう。風や湖さえも従うではないか

今日の福音は「向こう岸に渡ろう」というイエスのことばから始まっています。
イエスは異邦人の地へ行って、神の国を伝えようと考えていたと思われます。
弟子たちはなぜそんな対岸の異邦人の地にまで行かなければならないのか疑問をもっていたのかもしれません。
嵐になって波をかぶっているのに、眠っているイエスに対して弟子たちは言います。
「先生、わたしたちがおぼれてもかまわないのですか」。
これは「わたしたちは本当は行きたくないのに先生が言うから船出したのだ。
その結果がこのありさまだ」という不平にも聞こえてきます。
この不平は出エジプト記のときエジプトの奴隷だったイスラエルの民を思い出します。
何日も荒れ野を歩いているときについには食べるものにも事欠いてイスラエルの民は不平不満を言いだします。
それを聞き入れられた神は、民にマンナと言う食べ物とうずらという鳥を与えます。
民はこのことによって一旦は神を賛美し敬いました。
ところがシナイ山に登ったモーセがなかなか戻ってこないと今度は神をないがしろにし、金の子牛を造り崇拝します。
これと同じように舟の上の弟子たちもイエスが何をしようとしているのか分からず不平を言っているのです。
イエスは起き上がって風を叱り、湖に「黙れ、静まれ」と言われ、すっかり穏やかな湖になりました。
「なぜ怖がるのか。まだ信じないのか」とイエスは言います。
これは弟子たちが神の国の到来の前に困難が来ると臆病になり不安になり逃げ出したくなることを戒めることばです。
イエスの受難の時に至るまで弟子たちに言い続けます。
受難の前にペトロはイエスにずっとついて行くと言っていたのに、人からイエスの仲間だと言われると「いや違う」と三回も否定しました。
ペトロは神の国の到来を目前にしたイエスの受難に対して怖がっていたのです。
ところで、弟子たちは自然の脅威に対して、自分たちの力の及ばない出来事に不安を覚えていました。
しかしイエスの力あることばは自然の脅威をも静めてしまいました。
弟子たちはイエスの行ったことに対して非常に恐れたとあります。
この「おそれ」には三つの意味があります。
一つは単に怖がる気持ちです。
もう一つは敬いかしこまる気持ちです。
三つ目は何かよく分からないことが起こる可能性があることを言います。
ここでは二番目の敬いかしこまる気持ちではないかと思います。
弟子たちはイエスの力あることば、神の力を目の当たりにし、神の働きに信頼し、神を敬いかしこまる気持ちをもったと考えてはいかがでしょうか。
わたしたちは困難にぶつかったときどうすればいいか分からず戸惑うことがあります。
怖がることは決して悪い事ではありません。
さまざまな危険から身を守るために恐怖心や警戒心を持たなければ死ぬことさえあるからです。
弟子たちも初めは怖かったのだと思います。
しかし、時間がたつにつれてイエスに信頼して敬う心が育っていったのです。
誰でも最初はどんなことでも不安なものです。
この福音書ができた当時の教会において、その活動がうまく進まないとき、この嵐の中の舟のように何の助けも感じられない時に、この出来事を思い出し、イエスへの信頼を取り戻し、困難を乗り越えることができたという体験があって残ってきたエピソードかもしれません。
わたしたちは平穏無事な生活を送っているときにはあまりイエスがともにいることを感じられないかもしれません。
ですが、嵐のような状態で困難の中にあるときにはイエスが復活してわたしたちとともにいるということに信頼して歩むことができるのではないでしょうか。
今の社会はまるで嵐の中にいるようです。
それは個人に対してもそうですし、共同体や地域、あるいは国家という単位で見てもいろいろな困難であふれています。
そんなときに「向こう岸に渡ろう」という宣教の命令と、「なぜ怖がるのか。
まだ信じないのか」という神を信頼すること、この二つのイエスのことばを力強い励ましのことばとして受け止めてこの現代社会をともに歩んでいけたらと思います。

追伸

※2015年の助祭の時の習志野教会での説教より

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