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四旬節第5主日(2020年3月29日、A年・主日・紫)

佐藤謙一(さとうけんいち)  

2020年3月29日

第一朗読:エゼキエルの預言(エゼキエル37・12-14);わたしがお前たちの中に霊を吹き込むと、お前たちは生きる・答唱詩編(詩編130・1+2、5+6、7a+8);主は豊かなあがないに満ち、いつくしみ深い。・第二朗読:使徒パウロのローマの教会への手紙(ローマ8・8-11);イエスを死者の中から復活させた方の霊が、あなたがたの内に宿っている・福音朗読:ヨハネによる福音(ヨハネ11・3-7、17、20-27、33b-45);わたしは復活であり、命である

今日の朗読では永遠のいのちへの道を示されました。
わたしたちが考える永遠のいのちとはどういうものでしょうか。
永遠のいのちとは死を通して現れる神の力です。
神がその力を現してわたしたちを永遠のいのちへと導くのです。
死に対する勝利として神の力が働かれるのだという希望がそこにはあります。
洗礼の秘跡によって罪は滅ぼされ、新たに復活のいのちに生きることができるのです。

イエスはラザロの死を通して、マルタに永遠のいのちがあることを示されます。
マルタは確かに終わりの日に復活することは信じていました。
しかし、イエスはさらに神の栄光が今行われると言われます。
この物語が本当なのだろうかとか、現実に起こりうることなのだろうかと考えるでしょう。
イエスが「わたしは復活であり、命である。
わたしを信じる者は、死んでも生きる。
生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。
このことを信じるか。」と問われます。
わたしたち一人ひとり何を信じているのかを問われます。
死を超えて生きるいのちを信じますか。
もちろんわたしたちは永遠のいのちを信じて洗礼を受けて今ここに集まっています。

ところで、今日の福音ではイエスの人間的な感情の動きが示されています。
「心に憤りを覚え」というところと「涙を流された」というところです。
また、ラザロに向かって大声で「出て来なさい」と言われました。
神の力を持ったイエスではありましたが、人間的な弱さや感情を持ったイエスでもあるのです。
三位の神、父と子と聖霊の神がありますが、イエスだけは人間としてわたしたちの間に来られました。
わたしたちと同じように人間であったのです。
それがわたしたちの信仰にとって大きなものです。
わたしたちと一緒に悲しみ、泣き、笑い、心を動かされるのです。
わたしたちに共感してくれる存在がイエスなのです。

この四旬節の5週間の間、日曜日ごとに信仰においてもう一歩進むようにイエスはわたしたちを導いてくださいました。
今日もマルタのように少しずつわたしたちを進ませてくださいます。
わたしたちの心がぐらついてもイエスは待っておられて、わたしたちが同意して次の一歩を進むのを待ってくださいます。
パウロは「イエスを死者の中から復活させた方の霊によって、あなたがたの死ぬはずの体をも生かしてくださる」と言っています。
エゼキエルも「わたしがお前の中に霊を吹き込むと、お前たちは生きる」と神のことばを伝えています。
イエスに信頼して歩むとき、わたしたちは喜びに満たされます。
イエスがわたしたちを愛してくださり、永遠のいのちに導いてくださるからです。

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