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四旬節第1主日(2020年3月1日、A年・主日・紫)

佐藤謙一(さとうけんいち)  

2020年3月1日

第一朗読:創世記(創世記2.7-9、3.1-7);人間の創造と罪
答唱詩編(詩編51.3-5、6cd、12-13);あなたの息吹を受けて、わたしは新しくなる。
第二朗読:使徒パウロのローマの教会への手紙(ローマ5.12-19);罪が増したところには、恵みはなおいっそう満ちあふれた
福音朗読:マタイによる福音(マタイ4.1-11);イエスは四十日間断食した後、誘惑を受けた

四旬節ができた初めのころは40日間が今日の四旬節第一主日から始まっていました。福音朗読がそれを示しています。40日間の断食の場面が示されているからです。この日から四旬節は始まっていたのです。確かに、今日から聖木曜日までは40日間です。のちに主日を四旬節の期間からのぞいて先週の水曜日から聖土曜日までの40日を四旬節としました。これは聖なる過越しの3日間を二つに分けたからです。聖土曜日がイエスの地上での宣教のおわりで、復活祭からはイエスが天上で新しいいのちを受けたと考えたからです。灰の水曜日というのは意味のある典礼だと思います。今はその灰の水曜日を残し、聖なる過越しの3日間を復活させ、聖木曜日までの38日が四旬節となります。ただ、主日であっても栄光の賛歌は歌いませんし、紫の祭服を着ているので四旬節の間だということですから、はっきりと区別されているわけではありません。主日も四旬節に加えると44日間となります。細かいことを考えると疑問点ばかり出てきますから、だいたい40日なのだということでやめておくのがいいでしょう。

さて、四旬節は、信者である私たちの信仰を振り返るよい機会となります。私たちの信仰の中心にある キリストの死と復活の記念にあずかる準備をしていくからです。初代教会において、復活徹夜祭に洗礼を受ける人は、毎日教会に集まり、講話を聞き、悪霊追放の式にあずかり、断食、節制に努めていました。この習慣が後には信徒たちにも広がり、四旬節の40日間、節制にするようになりました。第2バチカン公会議後の典礼刷新において、四旬節の聖書朗読と典礼は洗礼志願者のための教育に向けられるようになりました。非常に豊かな典礼のときなので、毎日のみ言葉を聞き、それに生かされながら過ごすときに、本当にこの時期がキリストの過越の神秘にあずかる信仰を確認する日々となるのです。

さて、今日の第一朗読では、創世記が読まれました。神が人間を形づくり、いのちの息を吹き入れられ、人は生きる者となったのです。人間への最初の誘惑が語られています。蛇の誘惑です。のちに男は女のせいだと言います。女は蛇のせいだと言います。蛇の誘惑によって罪が人の間に入り、罪によって人が死ぬものとなったことが描かれています。人は、神によっていのちが与えられ、神のみこころに沿って生きる者です。この程度ならいいのではないかと自分も他人もだますことは、私たち一人ひとりの中にあるものです。この心の動きに気づくことが大切なのです。神のみこころに反するときに、人間は自分自身に降りかかる悲惨な状況に気づくのです。神が死を与えたのではなく、人間自身が自分を死の状況に陥れたのです。確かに、アダムの罪によって人は死に支配されるようになりました。

しかし、パウロは言っています。イエス・キリストによって神の恵みと義の賜物を受けている人は、キリストを通して生きるのです。アダムの不従順によって罪びととされましたが、イエスの従順によって正しい者とされるのです。
イエスは3つの点の誘惑を受けられます。
  (1)「石がパンになるように」命じること
  (2)「神の子なら、飛び降りたらどうだ」、高い所から飛び降りること
  (3)「ひれ伏してわたし(サタン)を拝む」こと
これらは人の心を誘う肉の欲、富の欲、名誉の欲を代表するもので、だれの心にもあり得るものです。3つともすべて神のみ言葉から引き離そうとする誘惑です。
神との絆(きずな)や交わりを分断させる誘惑です。いずれにせよ、これに対して最終的な解決が与えられるのは、イエス・キリストにおいてです。イエスを通して示された誘惑に打ち勝つこころをわたしたちもいただくことができるように願い求めてまいりましょう。

追伸(3年前の説教を修正・未発表)

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