*主任司祭 佐藤謙一神父の言葉*

小樽広報部 により

2021年12月25日

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「主のご降誕と新年のお喜びを申し上げます」 

~広報誌「ぶどうの木 1月号」巻頭言より~

 主の公現は、幼子イエスに対する博士らの来訪、そして公生活を始めるという意味でヨハネからの洗礼という二つの側面があります。この博士たちは聖書に名前はありませんが伝統的に、カスパル(青年)、メルキオール(老人)、バルタザール(黒人)と呼ばれています。

 誰がどの献げものを持っているのか分かりませんが、三つの献げものについて、教皇レオ1世は、正しい信仰を持っているすべての人の心の中で、キリストが世界の王であることを認めている人は黄金を、キリストが真の人間だとみる人は没薬を、御子が御父と等しい尊厳を持っていると宣言する人は乳香を献げて敬うと言っています。黄金は王であることを表し、没薬は死すべき人間であることを表し、乳香は神であることを表すのです。

 もう一人の博士として小説になり映画化されたり絵本になったりしているアルタバン(宝物)をご存知でしょうか。他の博士と同じく星を見てユダヤの王が生まれたことを知り宝物を贈るために出かけます。
しかし途中で瀕死の男を助けたために遅れてしまい、他の三人と一緒に出かけられず一人で出かけるために宝物の一つを売らなければならなくなりました。
ようやく旅を開始しましたが、ベツレヘムに着いたときにはイエスの一家はエジプトへ旅立った後でした。ベツレヘムではヘロデ王による幼児虐殺が始まっており、一人の幼児を救うために宝物の一つを兵に差し出しました。

 その後、アルタバンはイエスを探し求めて多くの国を歩き回りながら、多くの人々を助けていました。ついに33年後、エルサレムでイエスが処刑されることを知ることとなります。彼はイエスを救うためにゴルゴタの丘に向かいますが、その途中で女性が奴隷として売られるところに出会い、彼女を救うために最後の宝物を手放すことになりました。
 その時激しい地震により瓦がアルタバンの頭にあたり瀕死の重傷を負います。アルタバンはイエスを救うことができなかったことを後悔しますが、イエスの声が聞こえ「はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。」(マタイ25・40)アルタバンは喜びのうちに亡くなりました。

 アルタバンの宝物はイエスを求めて歩んでいく中で得られた隣人なのです。隣人愛の実践物語としてとてもいいお話だと思います。わたしたちも直接イエスを見たわけではありませんが、イエスのことばを心に留めて歩んで隣人愛を実践していく中でイエスと出会えるのです。降誕節は闇を照らす光の訪れです。イエス・キリストはわたしたちの喜びであり希望でもあるのです。

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