主の晩さんの夕べ(2020年4月9日、週日・白)

佐藤謙一(さとうけんいち)  

2020年5月22日

第一朗読:出エジプト記(出エジプト12・1-8、11-14);過越の食事についての規定
答唱詩編(詩編116・12+13、15+16b、17+18);このパンを食べ、この杯を飲み、わたしは主の死を告げ知らせる。
第二朗読:使徒パウロのコリントの教会への手紙(一コリント11・23-26);あなたがたは食べ、飲むごとに、主の死を告げ知らせるのである
福音朗読:ヨハネによる福音(ヨハネ13・1-15);イエスは弟子たちをこの上なく愛し抜かれた

「主の晩さんの夕べのミサ」から「聖なる三日間」が始まります。
この「主の晩さんの夕べのミサ」は最後の晩さんを直接記念するものとして、必ず夕方に行われます。
そのため聖木曜日の晩の祈りは、このミサにおいてその代わりとなります。

そして聖木曜日は聖体の制定のときです。
イエスは「わたしの記念として行いなさい」と示されたと聖パウロは伝えています。

このほかにキリストの聖体の祭日があります。
こちらは復活祭後、聖霊降臨のあとに祝われる祭日です。
教会が誕生してキリストの聖体を受け継いでいった初代教会にならって、今のわたしたちの教会も受け継いで記念していくことをお祝いし、再確認するのです。

ところで、聖パウロはコリントの教会に宛てて、このように主の死を告げ知らせるようにと教えています。
そしてそれを「主から受けたもの」とパウロは言っています。
つまり、ここで述べられたことはパウロが考え出したことではなく、キリストご自身が示されたのだということです。

この聖体の秘跡は、イエスが十字架上で亡くなって、復活したときから始まり、パウロが言っているように、「主が来られるときまで」続けられるのです。
イエスは三日目に復活し弟子たちに現れ聖体の記念を自ら行い、弟子たちにパンを分け与えました。
そして、主が来られたとき、主と共にいることになるわたしたちは聖体の秘跡を必要としなくなるのです。
秘跡というのはしるしですが、それはイエスが示された神についてのあかしです。
神と人との古い契約は律法に基づくものでしたが、新しい契約はイエス・キリストの血によって立てられたものです。
キリストの血とは受難と十字架上の死において示されたものです。
またそれは、わたしたちの罪のあがないのための死でもありました。
わたしたちに友のために死ぬということ、他者のために奉仕することを示されたのです。

今日の福音では、イエスが弟子たちの足を洗う場面が読まれましたが、これこそ他者に対する最大の愛と謙遜の行いであるといえます。
当時もっとも身分の低い人がしていたことをイエスが行ったのは、イエスが弟子たちのために仕える者であり、命を与える者であることを示しています。
この福音の少し後に、食事の席でイエスは言います。
「互いに愛し合いなさい。
わたしがあなたがたを愛したように、あなたたちも互いに愛し合いなさい。」
キリストの御からだを受けてわたしたちがお互いに仕え合うとき、イエスのことばが実現しているのです。

今年は公開のミサを実施しておりませんし、感染防止の観点から洗足式を行いません。
しかし、全世界の教会共同体は心を合わせて祈ります。
たとえ教会堂に集えなくても、霊的聖体拝領として御からだをいただきます。
ここに集えない友のためにこのミサの中でお互いに祈りましょう。

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