花川マリア院の馬小屋の飾り

主の昇天(2021年B年)

佐藤謙一(さとうけんいち)  

2021年5月16日

第一朗読:使徒たちの宣教(使徒言行録1・1―11);イエスは彼らが見ているうちに天に上げられた
答唱詩編(詩編47・2+3、6+7、8+9);主は昇られた、喜びの叫びの内に。
第二朗読:使徒パウロのエフェソの教会への手紙(エフェソ4・1―13);わたしたちは、キリストの満ちあふれる豊かさになるまで成長する
アレルヤ唱:(マタイ28・19a+20b);アレルヤ、アレルヤ。全世界に行き、すべての人をわたしの弟子にしなさい。わたしは世の終わりまでいつもあなたがたとともにいる。アレルヤ、アレルヤ。
福音朗読:マルコによる福音(マルコ16・15―20);主イエスは天に上げられ、神の右の座に着かれた

今日は主の昇天の祭日です。第一朗読の使徒言行録では、使徒たちに40日にわたって復活されたイエスが現れていることが書かれています。そして40日目に天に上げられたことが記述されています。マルコによる福音でも、「主イエスは、弟子たちに話した後、天に上げられ、神の右の座に着かれた」とあります。この昇天の物語はわたしたちに何を伝えたいのでしょうか。

昔の人々は丸い地球を想像していませんでした。地面があってその下には死んだ人たちが行くよみがあり、天には神の住む場所があって穴が開いていて太陽が移動して夜になると、穴が光りだして星のようになる。今宇宙にまでいけるようになったわたしたちは天に神の住まいがあるとは考えていません。当時の人たちが自分たちの精一杯の知識や理解で記述したものをそのまま受け取ると単なるおとぎ話で終わってしまいますし、世の中の人々になかなか理解してもらえません。聖書のなかで何を伝えたいのかを読み取る必要があり、それをふまえてほかの人たちに伝えていく必要があります。

ところで、わたしたちの信仰の中心にあるのは、イエスが十字架の上で死んで、復活し永遠のいのちを示したところにあります。弟子たちに現われ、多くの人に現われ、死ですべてが終わるものではないことを示されました。しかし、それだけでは一部の弟子たちに現われた物語で終わってしまいます。そして彼らがイエスと同じように生きようとしたということで終わってしまうのです。つまり、すべての人の救いにつながらないのです。そのためにはすべての人に福音を伝えることが必要となります。

マルコによる福音を見てみましょう。19節で「主イエスは、弟子たちに話した後、天に上げられ、神の右の座に着かれた」とあります。これを聞くとまるでわたしたちから遠く離れ去っていくようです。しかし、20節の後半で「主は彼らとともに働き、彼らの語る言葉が真実であることを、それに伴うしるしによってはっきりとお示しになった」とあります。弟子たちとともに主が働かれるようになったのです。
つまり、天に上げられたということは神と同じく時間も空間も超えた存在であるということを示しているのです。ということは、弟子たちが至るところで宣教したときに、いつも主がともにおられるようになったのだということです。だからこそ、弟子たちに「全世界に行って、すべての作られたものに福音を宣べ伝えなさい」と言われたのです。わたしがともにいるから大胆に勇気をもって伝えなさいと言われたのです。キリストは自由に、いたるところで、教会とともにおられる方となったのです。

弟子たちから福音を告げられた人々が洗礼を受けて救いに入り、洗礼を受けた人々がまた別の人に福音を告げて洗礼を受けさせるという連鎖によって全世界に信じる人が増えていくのです。そのとき、いつもイエス・キリストがともにいるのです。
それが主の昇天の意味であるのです。時間と空間を越えていつもわたしたちとともにおられるようになったということです。

さて福音とは何でしょうか。神の国の到来です。父である神はすべての人を例外なく子どもとして愛してくださいます。だから悔い改めて神に立ち帰りなさいと呼びかけるのです。放蕩息子が悔い改めたときに、父親は抱きしめて迎え入れました。
そのように宣べ伝えなさいと弟子たちに指示しているのです。神は愛であると伝えることは決して言葉だけではないと思います。放蕩息子の父親のように行動の中で示すこともできるはずです。わたしたちも同じように福音を宣べ伝え、行動で示すのです。

そして、それにはしるしが伴うとあります。キリストともに悪霊を追い出すこと、これは人を神から引き離し人と人との関係を破壊する力を追い出すことができるということです。そして、キリストとともに新しい言葉を語ること、これは人を神に心を向けさせ、人と人とを結ぶことができるということです。蛇や毒というのは、福音を宣べ伝えることによって多くの困難にぶつかるということです。しかしそれもキリストとともにいることによって勇気をもって突き進むことができるのです。

病人は孤独です。一人で病気とたたかい歩んでいかなければなりません。そんなときにキリストともに病人と歩んでみませんか。ともに歩むことによって病気の人が少しでも勇気を得て励まされることがあるのではないでしょうか。今日は主の昇天の日です。キリストが時間と空間を越えてわたしたちといつもともにいることになった日なのです。

追伸

2018年の十勝カルメル修道院と帯広教会での説教より

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