主の昇天(2020年5月24日、祭日・A年・白)

主の昇天(2020年5月24日、祭日・A年・白)

佐藤謙一(さとうけんいち)  

2020年5月23日

第一朗読:使徒たちの宣教(使徒言行録1・1-11);イエスは彼らが見ているうちに天にあげられた
答唱詩編(詩編47・2+3、6+7、8+9);主はのぼられた、喜びの叫びのうちに。
第二朗読:使徒パウロのエフェソの教会への手紙(エフェソ1・17-23);神はキリストを天において御自分の右の座に着かせた
福音朗読:マタイによる福音(マタイ28・16-20);わたしは天と地の一切の権能を授かっている

信徒の皆様
主の昇天の祭日にあたり、短い勧めの言葉を送ります。

主の昇天の祭日は、『布教国』では通常復活の主日から40日目の復活節第6週の木曜日に祝われます。日本は『宣教国』なので復活節第7主日に移動して主の昇天を祝います。現在は『布教国』であっても木曜日を国祭日とせず、日曜日に主の昇天が移動されて祝われている国が結構多いようです。主の降誕の祭日や聖なる過ぎ越しの三日間、聖母被昇天など『布教国』では国の祭日としてお休みになっているところが多いのですがそうでない国も増えています。実はわたしは日本以外の国の事情については詳しくないのでどこがそうなのかはよく知りません。ともかく、今日はイエスが復活してから40日後に天に昇ったということが祝われる日であるということです。
使徒たちは復活したキリストを目撃していますが、それが40日間だったということです。この使徒たちの証言をもとにわたしたちはキリストの復活を信じています。キリストの姿を見なかったからといって信じないわけではありません。むしろ、福音書に記されているとおり、「見ないのに信じる人は、幸い」(ヨハネ20・29)と言われています。この幸せは、キリストの死と復活に希望をおいているすべての人に及ぶものなのです。見ないのに信じるわたしたちはこの幸せにあずかっているのです。
今日示された福音はマタイ福音書の最後の部分です。この言葉でマタイによる福音は締めくくられています。19節から20節にかけてイエスの指示が述べられています。
「行って」「弟子にしなさい」「洗礼を授け」「教えなさい」
ギリシャ語原文では「弟子にしなさい」という言葉だけが命令形で、ほかの三つは命令形ではなく分詞形なので「弟子にしなさい」という言葉にすべてかかっています。
「あなたがたは行って、すべての民をわたしの」弟子にしなさい。
「彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け」弟子にしなさい。
「あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教え」弟子にしなさい。
わたしたちに命じられているのはいろいろな手段を通してイエスの弟子にしなさいということなのです。行くだけではだめなのです。洗礼を授けるだけではだめなのです。教えるだけではだめなのです。本当の意味でイエスの弟子にしなければいけないのです。本当の意味でというのは、「イエスが行ってきたことをわたしたちも行う」ことによって示すということです。たとえば世の中で苦しむ人々をいかに助けていくことができるのかを考え、行動に移すということです。
わたしたちの信仰の核心は、イエス・キリストにあります。イエスがいつも共にいてくださるのですから、イエスが行ってきたことをわたしたちも勇気をもってこの世の中で行っていけるはずです。
「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」
イエスが天にあげられてもう地上にはいないとしても、いつも天の国でわたしたちのために見守っています。そしてさらに神の霊を注いでくださるのです。聖霊を注ぎ、いつも共にいてくださるのだという希望を持たせてくださるのです。それに力づけられて信仰の道を歩むことができるのです。
集会祈願にあるように、「主の昇天に、わたしたちの未来の姿が示されています。」その言葉を心に留め、イエスが行ってきたことをわたしたちも行うことができるよう願いましょう。

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