花川マリア院の馬小屋の飾り

キリストの聖体(2021年B年)

佐藤謙一(さとうけんいち)  

2021年6月1日

第一朗読:出エジプト記(出エジプト記24・3―8);これは主があなたたちと結ばれた契約の血である
答唱詩編(詩編116・12+13、15+16b、17+18);このパンを食べ、この杯を飲み、わたしは主の死を告げ知らせる。
第二朗読:ヘブライ人への手紙(ヘブライ9・11―15);キリストの血は、わたしたちの良心を清めるだろう
アレルヤ唱:(ヨハネ6・51);アレルヤ、アレルヤ。わたしは天から下ったいのちのかて。このパンを食べるものは、永遠に生きる。アレルヤ、アレルヤ。
福音朗読:マルコによる福音(マルコ14・12―16、22―26);これはわたしの体である。これはわたしの血である

今日はキリストの聖体の祭日です。今日の祭日のほかにも典礼上、キリストが聖体を制定したことを記念して祝うことがもう一つあります。四旬節と復活節の間にある聖なる過ぎ越しの三日間の聖木曜日の主の晩餐の夕べのミサです。主の晩餐の夕べのミサでは、聖体の制定を祝うだけではなくイエスの受難・死・復活という出来事を忠実に祝おうとしています。感謝の祭儀の中で、「信仰の神秘」「主の死を思い、復活をたたえよう、主が来られるまで」と唱えます。イエスはわたしたちの罪のために死に渡され、わたしたちが義とされるために復活させられたのだと、信仰宣言しているのです。

今日のミサでは、その聖木曜日の主の晩餐の夕べのミサを取り出して、あらためてキリストの聖体について祝おうとしているものであるということです。聖なる過越の三日間の最後の復活徹夜祭では、洗礼・堅信・聖体という入信の秘跡が行われます。これらの秘跡は「キリスト者になるための秘跡」です。洗礼を受けてキリスト者となり、キリストのからだを受けてキリストに結ばれ、ともにキリストのからだを受ける他のキリスト者と一致する。つまり、聖体の秘跡は新たにキリスト者となったことを完成させる秘跡と言うことができます。特に成人の入信式では復活徹夜祭で洗礼と堅信を受けて聖体をいただき、その時点でキリスト者としての完成になるからです。洗礼と堅信は一度きりですが、聖体の秘跡は何度でも受けることができます。わたしたちは、毎週キリスト者となったことを完成させる秘跡を受けています。日々キリスト者としての信仰を生き続けるわたしたちは、この秘跡にあずかる恵みがいつでも与えられていると考えることができます。これは権利でもありますが、同時にわたしたちはキリスト者としての使命を果たす義務を負っているとも言えます。

イエスが亡くなった後の初期の共同体は、イエスの言葉に従って、信者の家に集い、パンを裂いてともに食べ、杯を飲むごとにイエスの死を告げ知らせていました。この聖体の秘跡が今も続き、毎週行われているのです。福音書の終わりに「神の国で新たに飲むその日まで、ぶどうの実から作ったものを飲むことはもう決してあるまい」とイエスは言っています。イエスご自身は、世の終わりに神の国が完成されるときに、亡くなられたすべての人とともに、わたしたちもともに、再び救い主イエス・キリストの食卓に着くのです。それまではミサのたびごとに、イエスの死と復活、昇天を記念し聖体をいただき、イエスの再臨を待ち望むのです。

聖体の秘跡の起源は今日の福音で読まれた「イエスの最後の晩餐」にあります。イエスご自身が弟子たちとの食事のときに語られた言葉によってパンはイエスのからだになり、ぶどう酒はイエスの血に変化するのです。このキリストのからだをいただくわたしたちは、キリストのからだの一部となります。主の晩餐を行うことによってキリストのからだの一部であるわたしたちは皆が互いに結ばれ、一致することによってキリストのからだを成しています。このキリストのからだは教会であり、わたしたちはそれぞれさまざまな役割を持ちながら、互いに協力しつつ一つのからだを構成するのです。そして、イエスが死者の中から復活して栄光のからだとなったように、わたしたちも死者の中から復活して主の栄光の姿にあやかることになります。死がすべての終わりではないということです。このように聖体の秘跡を通して、わたしたちはキリスト者としての生き方を死に至るまで深めていくことができるのです。イエス・キリストの残してくださった聖体の秘跡に感謝して、このミサをともに続けてまいりましょう。

追伸

2018年の北一条教会での説教より

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