カトリック教会の結婚観

◆ 人が成長して大人になり、適当な相手が見つかって愛し始めると、自然に結婚へと入っていきますが、聖書を見ると、わざわざはっきりと結婚は神が制定されたものだと記しています。人間が決めたものではありません。

 主なる神はいわれた。「人が独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を造ろう。」
主なる神は、野のあらゆる獣、空のあらゆる鳥を土で形造り、人のところへもって来て、人がそれぞれをどう呼ぶか見ておられた。人が呼ぶと、それはすべて、生き物の名となった。人はあらゆる家畜、空の鳥、野のあらゆる獣に名を付けたが、自分に合う助ける者は見つけることができなかった。
 主なる神はそこで、人を深い眠りに落とされた。人は眠り込むと、あばら骨の一部を抜き取り、その跡を肉でふさがれた。そして、人から抜き取ったあばら骨で女を造りあげれらた。主なる神が女を人のところへ連れてこられると、人はいった。
「ついに、これこそ
私の骨の骨
肉の肉。
これこそ、女(イシャー)と呼ぼう。
まさに、男(イシュ)から取られたものだから。」
こういうわけで、男は父母を離れて女と結ばれ、二人は一体となる。
人と妻は二人とも裸であったが、恥ずかしがりはしなかった。」
(創世紀2.18〜25)

◆ 人間は愛に向けて創造されています。愛には必ず相手が必要です。それは普通の場合は異性でしょうが、人によっては人類愛であったり、使命感のようなものであったりします。神を生涯の愛の対象として選んだ人たちが司祭であったり、修道女であったりします。

◆ 結婚とは、

二人の愛と信頼によって始まり、神の計らいのもとに成長し、完成するものであり、
結婚そのものが宗教的、信仰的行為であり、
一生涯のものであり、お互いを大切にし、相手の人格(自由意志)を尊重し、
生まれてくる子どもの教育、家庭の責任を負う、
ものです。

◆ 結婚生活は大急ぎで駆け込むものではありません。お互いに相手を理解しているかどうかを、十分、時間をかけて検討してみてください。相手の性格を誤解することなく、可能なかぎり相手の本当の姿を見つけるよう努めてみてください。自分のありのままの性格を併せ考えて、一生ともに家庭を築いていくことができるかどうか、一人で静かに考え、親にも信頼できる人にも見てもらうくらいの、心のゆとりと時間がほしいものです。

◆ 粟本 昭夫(あわもと てるお)著、『結婚する二人へ』より  FSP 1993
粟本神父はイエズス会の司祭で、現在、東京四ツ谷の聖イグナチオ教会で働き、結婚講座を担当しておられます。

◆ なお結婚について、もっと詳しくお知りになりたい方は、『結婚する二人へ』をお読みください。
『結婚する二人へ』のお求めは、Laudate Homepage(女子パウロ会)へどうぞ。

以上、以前に掲載されていた文章をパウロ会のご好意により転載させていただきました。


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